哲学と冗談

L'amore più profondo non può essere facilmente compreso.

困ること

殿方とテレビとか雑誌とかインスタとか見てて、

美味しそうな食べ物の画像出てきて、

「美味しそう〜」って言うけど、

「じゃあ食べにいく?」って言われても、困る

 

「美味しそう」

から

「食べたい」

まで、飛躍しすぎじゃない?

 

なんならその場合の「美味しそう」は、

「見た目がとても良くてインスタ 映えしますね」くらいの意味合いでしかなくて

「口に入れたときの味がとても良さそう」とは言ってないよ、言ってないんだ、

 

ましてや、なんで

「(俺と一緒に)食べに行く?」なの?

本当に(本当に)飛躍が、すごい、怖い。

「食べに行く?」なんでなんで?

 それより家でポケモンしながらレトルトのカレー温めて1人で食べてた方が美味しいよ、

 

だってさ、それは私がなんかの食べ物のお店を見て「美味しそう」と言ったら

「連れてって」って意味になるってことなんでしょう?

ただの「美味しそう」を聞かれて勘違いされても困る

 

ああでも、もしかしたら世の男たちは、そんな空気の読みあい(とってもダサい)の中でずっと生きてるのかもしれませんね。

私がおかしいのかもしれませんが

 

ハイパーレクシア症だった保育園児の頃、"はじめてのひらがな"みたいな幼児用の勉強絵本、大人が子どもに文字とか数字覚えさせるために作った内容の浅い本見るたびに「馬鹿にすんなよ、こどもを。」とずっと思ってたんだけどそれと同じものを感じる、

ひらがなをひらがなとして読ませたいだけで書物の概念も文化的背景も歴史的遺産も全て無に帰するみたいなやり方、順番が逆だろ、と、幼い私は出版社に中指を立てていた。

一次的なわかりやすさに重きをおいた世界はぐるっとした世界よりも困らないことが増えて一見生きやすく見えることがあるけど、それはとてもダサくてつまらない、不思議の国のアリスを読め(読まなくていい)、ユリシーズを読め(読まなくていい)、ドグラマグラを読め(読まなくていい)、

いいですか、これは文字が読めるとか文章の意味を理解するとかそういう話をしてるんじゃないですよ、人としての生き方の問題だ、誰かが大昔に作った手垢塗れのスポンジに、誰かの利益のためにホイップされた生クリームを塗って、誰かの自己顕示欲のため用意された苺を乗せたケーキを、もはや食べることすらしないで写真で見ていいねするだけとなった我々は、なにを口にすればいいのか、いや、なにを口にしたかったのか、考えなければなりません。