哲学と冗談

L'amore più profondo non può essere facilmente compreso.

今日の日記

太平洋戦争とか第二次世界大戦とか今世界で起こってる紛争とか、悲惨で残酷で悲しいものってされてるし私も胸が痛くなることあるけど、戦国時代とかローマ帝国とかも人いっぱい殺されてるのに血とか内臓とかっぽさが無くて残酷なものとかってタブー視もされてなくてむしろ素敵なコンテンツ化しててそれを学び語ることがある意味娯楽や教養みたくなってるのはどうしてなんだろ、別に哲学として問いかけてるわけではないです、単純に疑問。

あの頃だって、理不尽に殺されたり大切な人を奪われたりして、もっと生きたい、悔しいって思った人達が沢山いるはずなんだ。

 

大昔のことだから?

そしたら何百年後か何千年後かの人間は我々が今抱えてる近代戦争への念慮が無くなるのかな。それはちょっと想像できないけど。いつか来るのかな。

 

画像、映像に残ってないから悲惨さが想像できない?

そしたら全盲の人は悲惨さが理解できないのか?絶対にそんなことはないだろう。

 

武器が弓とか刀とかだから、戦車や原爆よりは全然残酷じゃないから?

弓でも刀でも豆腐でも、殺されたら残酷だと思う。残酷だ。

 

 

人間は、自分に近しいことに対して恐怖を感じ同情し遠ざけるのかな。

例えば何千光年も離れてる任意の星Aに知的生命体がいて物凄く残酷で悲惨な紛争を続けていたとして、それを悲しい、怖いと思うだろうか。

 

マルキドサドの「悪徳の栄え」で、「我々は自分たちの弱さのために不幸を恐れている。我々が他人の苦痛を理解するのは、自分も同じような運命になったら怖いと思うからではないか。もし恐怖から同情が生まれるとすれば、同情とは一つの弱さだ。」

といった話があるんだけど全部同意はしないけどそんなとこなんだろうなと思う。弱さ。人間って本当に弱い。弱いから、知性(知識と教養と優しさ)が必要なのかもしれませんね。知性は弱さを少しだけ、補強することができる。

 

これが正しいかどうかじゃなくて、私の思考整理の癖を改めて文章にして並べただけの言葉の連なりです。メモみたいなものなので気にしないでください。冒頭の質問に対する答えは求めてません。

なにも。なにもわかりません。人類は。