哲学と冗談

L'amore più profondo non può essere facilmente compreso.

シロノレモン

「今、丸ビル前に来ました。白のレクサスです。」

だから白のレクサスとか言われても、わからないってば。人間が全員車に興味あると思って生きないでほしい。20年前の女なら高級車見せたらキャーキャー言ってただろうけど、私たちの世代は車なんかどーでもいいって。走れば。それよりも貴方の持ってるiPhoneがXRなのかXSなのか教えて。YouTubeの登録チャンネルを教えて。インスタのストーリーにツーショ載せるから笑顔でいてね。

 

丸ビルを出ると白い車が何台か停まっていて、車道に出て前の車から順繰りに歩いて運転席を見る、女の人とタクシードライバーを経て、ヤマザキさんのシロノレクサスを見つけることができた。

 

「お疲れ様です。」

「こんばんは。早かったね。茉莉さんお腹空いてる?」

「結構空いてます。」

「そうかあ。じゃあ何処かで飯でも食おう。」

 

"飯" "食う"って言う人、嫌い。男同士ならいいけど、私にはそんな言葉使わないでよね。

 

「ごはん行きましょう。楽しみです。」

「何食べたい?イタリアンか〜、寿司か〜、あ、フレンチもいいなあ。」

 

こうやって、ジャンルで分けるのって東京においては野暮だと思う。明確にカテゴリ分けできない素敵なお店・単品勝負のお店がいっぱいあるし、何より、ジャンルよりも、お店の雰囲気や客層の方が、男女のデートには大切でしょう。ジャンルで分けてそのあと雰囲気で絞るなんて、二度手間。トリニダード・トバゴの料理が食べたいって言ったら貴方どうする?

 

「イタリアンが食べたい気分かも。」

「かしこまり〜。」

 

ヤマザキさんは車を走らせた。

結局、36分19秒後に我々はテキトーな和風居酒屋に入ることとなる。金曜日の丸の内、お洒落な店はどこもいっぱいで、私のイタリアン提案はあっさり覆された。ほらね。ジャンルじゃないんだってば。私のジミーチュウに無駄足を踏ませないで。

 

「ここ前に篠田と来たんだけど、まあ酒は旨いと思うよ。」

 

男とサシ飲みに使ったお店、ということは、目の前の女にあまり言わない方がいいだろう。でもこういうことを素直に言ってしまうところが、ヤマザキさんの良いところで、ほら、おしぼりで鼻の頭の脂を拭ったり、背広を脱いだらワイシャツの脇のところに半円の汗染みができてたり、こういう、正直なところ。お通しの枝豆をもぐもぐ食べてビールで流して、まだ注文した料理が1つも来ていないのに「茉莉さんって彼氏いるの?」なんて聞いてしまうところ。

 

「いませんよ。今は。」

「えーっ。可愛いのに、勿体ない。」

 

勿体ない、って何?私の顔や身体や心を誰かに差し上げたら価値が上がるの。その、価値、って、何?

 

「ねえ茉莉ちゃん、俺が立候補してもいい?」

「あはは、年の差恋愛ってやつですか、面白いですねー!楽しそう!」

 

しれっと、茉莉さん、から茉莉ちゃん、に変更して呼んできたことは無視して、本当に楽しそう!みたいな笑顔を見せてあげる。優しいでしょう。でも本当に、楽しそう、って思ってるのよ。嘘じゃない。

 

彼女になるならないの話を大きな笑いで誤魔化してあげたあと、ふっ、と笑いを消して黙り込む。

ねぇ、この空気、ヤマザキさんはどうする?

 

ちょっと気まずそうにしたヤマザキさんは店の中をキョロキョロして、本日のおすすめメニューやアルバイトっぽい男の子を眺めて、少し大き目の声で鶏の唐揚げを追加注文し、店の天井から下がるテレビに映るタレントを見た。

 

「そういえば、白い巨塔の新シリーズが、始まるね。」

白い巨塔?」

「え、知らないの?うわー、ギャップ!すごく有名なドラマで、山崎豊子って人が書いてるんだけど、何度もドラマ化されてるし、今回は岡田准一だよ。」

 

シロノレクサスの次は、シロイキョトウ。

山崎豊子も、その代表作も、存じ上げているけれど。シャネルで縁取られた口角をスッと上品に上げ、「そうなんですね、テレビドラマ、あまり観ないもので。面白そう、興味あるなあ。」なんて、微笑んでみせる。

 

"この男はちょっと無理"と思うほどに、優しく、魅力的にふんわり上がる私の口角は、きっとどんなロボットよりもオートマティックに運営される。この非生産的なオペレーションとともに、男に対する興味さえも失うことができればどんなに楽だろう。

それでも私は、この目の前の男を、ヤマザキさんの男の部分を、本質を、探りたくて、わざと泳がせてしまう。

この人の吐く息、言葉、心理、血。私は守りに入っているように見せかけ、心の深いところにある"何か"を閲覧する。

 

「どんなドラマがお好きなんですか。」

「なんだろ、なんでも観るよ、星野源とガッキーのやつ、面白かったなあ。まあでも一気に録画して週末に観ようとしてさ、ハードディスクいっぱいになっちゃったりして。大変。」

「ありますよね、そういうこと。」

一回も無いけど。

「今期、おすすめのドラマがあったら教えてくださいね!」

テレビドラマなんて少しも興味はないけれど、にっこり、笑ってみせた。

「へへ、じゃあ面白いのあったら紹介するよ。」

「うん、観る観る、ヤマザキさんのおすすめ、観たいなあ。」

少しだけ、敬語を溶かす。年下の女から敬語じゃない口調で話された時、その男の心理の本質が見えることがある。ヤマザキさんは、注意しないとわからないくらいに微妙に、だけど確実に、目を丸くして身を硬くして、アルコールの匂いのする息を止めた。

刹那ののち向かいに座る私の手を取り、

「じゃあ、ウチに来る?録画したのあるから。」

なんて、それがまるで仲良くなった証でもあるかのように、一生懸命に、私を見つめる。

 

 

「こちら鶏の唐揚げになります。」

 

ヤマザキさんは咄嗟に私の手を離した。手首が置いてあったところに、唐揚げが君臨する。私たちの薄くて細い、絹糸のような縁を、断ち切るように。それをわざと見ずに彼を見つめると、彼は少し恥ずかしそうに目線を下げて黙り込む。

 

「レモン、好き?かけてもいい?」

「大好きです。私がかけますよ。」

「おっ、女の人にかけてもらうなんて嬉しいな。」

 

その言葉で、さっきまで色鮮やかに横たわっていた黄色のレモンが、真っ白に褪せた。きっとこの白は、白のレクサスとか白い巨塔と同じ、白。冷たい、古ぼけた、もう真っさらに戻らない白。

 

ヤマザキさんの、白眼みたい。

 

そう思うとなんだか居ても立っても居られなくて、おかしくて、悲しくて、怖くて、咄嗟に席を立ち上がりジミーチュウをコツコツと鳴らしながら居酒屋を後にした。

ヤマザキさんの驚いた声だけ微かに聞こえてきたけど、この感情を説明しても、あなたには理解できないでしょう。月曜日になったら篠田さんに「女は難しいな〜。」とかって話すのでしょう。いいよ、ずっとそのままでいて。ずっと難しいままでいい。アンドリュー・ワイルズにもこの気持ちは解せない。いつまでも。

 

大通りに出てタクシーに飛び乗り、泣きながらティッシュで雑にシャネルを拭き取った。