Questa è la vita

Sicuramente!

グリフィンドールになりたかった

小学6年生の頃私のことヤバイと思った担任に目つけられて母親にチクられて、母親にはヤバイ片鱗見せてなかった良い子のつもりだったけどその分驚かれてしまって千葉にある何かそういう施設に通わされそうになったことがあって、見学みたいな感じで連れてかれて私良い子だからその施設の子とめっちゃ楽しそうに遊んで畑を自転車二人乗りとかしたりスイカ割りしたりしてたら母親に「こんなに笑ってる杏子初めて見た!やっぱり杏子は普通の学校じゃ無理なのね。学校では我慢してるのね。」みたいな結論出されていやいやいや己のパフォーマンスを発揮したまでよ、学校では発揮するほど根詰めて小学生演じてないだけよ、って思いつつその時は言葉で自分自身を表現することが今ほど容易でなかったのと親の期待通りの"普通の子ども"になれなかったことにショックでボロボロと涙が溢れてきて「私はその場の状況や環境に応じて小学生として冷静に対処することに長けているだけだから楽しいとか楽しくないとかと表に出てくる表情は別だし勝手に判断するな」みたいな感じで泣き落として施設入りは免れた、遠い千葉に通うのが面倒くさかったのと、「みんな違ってみんな良い」みたいなお花畑カウンセラーと会話したりワークショップしたりするのを極力避けたくてだってあの人たち肯定はしてくれるけど私みたいな人間がどう生きればいいかについては教えてくれないし私の自尊心は李徴よりも尊大なのでわざわざ肯定される必要ないし私のことを理解されたくなかったし、だけどこのときからずっと母の心配した顔が気がかりでどうにか普通になりたくて、楽しいとされていることは楽しい顔でしなきゃとか普通の子の世界観をトレースして自分に貼り付けたものをまるで自身の感覚のようにプレーして立ち回ることを覚えてしまって、人間が水と血液だけ入った動く袋みたいに見えてキモくて無理だったしトレース下手だからあんま馴染めなくて無理だったし「何をしでかすか分からない」ってまだ何もしでかしてないのに存在を否定されて無理だったしカウンセリングでも「朝ご飯は食べてますか」みたいな浅い会話で終わって無理だったし何より道徳の教科書みたいな綺麗事って私には適用されないんだ、ってことが辛くて、常識とかは死んでても感受性が死んでるわけでは無いから普通に傷つくしでも皆ヤバイ奴には何言っても大丈夫だと思ってるのか人権の無い扱いされててずっとずっと孤独だった、私だって人間だから傷つくよ、皆と同じだよ、仕方ないことだけどね、誰も悪くないし、だからナチュラルな自我は極力抑えて社会への殺意みたいなもので正気を保って身綺麗にして笑顔にして女の子のコスプレしてたら友達も恋人もできてやっと人間としてのステージに立てた気がして楽しくて、友達多かったし恋愛も上手くいってたし親も喜んでたけどこれが一体なんだったというのだろう、わたし人間のこと勉強したくてこの宇宙に産まれたのにまだ何も学べてないよ、人間ってなに、グリフィンドールみたいに何も考えずにすくすく生きて褒められる人たちが羨ましい、お前はスリザリンだと言われてスリザリンのように振る舞ってきたけど私は、この冷たい心臓から流れ出る液体を無視することがとうとうできなくて、

早くこの世界から出して。