絶望と欲望と杏子

Questa è la vita.

2012年ごろ

この前大学時代の友人と久しぶりにLINEをしてたら、かなり無意識に大学時代のLINE構文を多用して文章を作成していて自分にびっくりした。

 

括弧の中に長文を書いて、

ツーショット写真のことを「無銭」と呼び、

「病む」と「無理」をハートがわりに使い、

「するしか」「やるしか」等、打ち消しの言葉を更に打ち消し、

文末に「←」を付ける。

 

これはやばい。早くここから逃げなくては。

だけど逃げようと思えば思うほどに私の右手はフリック入力を止められず、一行空けて別のトピックを書き(この、一行空けて別のトピックに移る構成は高校時代のメール全盛期の名残であり一通のメールにおける満足度を高めることにより相手に好意と敬意を表しているのだ)、スタンプよりも絵文字を多用して(スタンプは欄外の補助的な装飾に過ぎないので相手間との二次元コミュニケーションにおける意匠はあくまでもメッセージの枠内で勝負する態度で挑まなければならない)、嗚呼だめだ、括弧書きが長文になってきている、助けてくれ、誰か、病む、このままだと病むんだけどー、え、やばいんだけど、待って待って待って、病むんだけどー♡無理なんだけどーもうここまできたら無銭するしか♡だれか無銭しようよ、しないとおこだよ← 人狼やるしか♡←

 

 

後には虚無だけが残った。