絶望と欲望と

Questa è la vita.

お弁当と東京。

お弁当作るのが大好きで、朝早く起きられた日はお弁当作るようにしてる。

料理も好きだけど料理の好き度を40くらいだとしたらお弁当づくりの好き度は200くらい。

料理はお皿が足りなかったら追加して足せるけど、お弁当は毎日決まったお弁当箱という枠での勝負なので緊張感が違う。遊びじゃできない。

たまに目方間違えてウインナーが入らなかったり、逆におかずの容積が足りなくて急遽プチトマト入れたりなど臨機応変さが問われる。

また、作ってすぐ食べるものではないので衛生面や崩れにくさにも注意しなくてはならない。

トライアスロンとかSASUKEみたい。

基礎と応用のバランスが良くないと100点のお弁当を作ることができない。

 

あとさっきお弁当食べてて気づいたんだけど、例えば「サバの味噌煮+チャプチェ」とか「さつまいもの甘露煮+タンドリーチキン」みたいな、普段食卓でお母さんに出されたら

あれ?私愛されてないのかな?それとも母さん亜鉛足りてないのかな? 

って心配になるような有り得ないメニューも、お弁当箱の中では完全に正義として成立する。この謎の真相は未だ解明されていない。

この、ハード的な部分ではやけに制約が多く不便だけど、ソフト的な中身の部分ではあまりにも自由なところ、私が考える東京に似ている。

街を俯瞰して見ると見えない枠にガチガチと嵌められて身動きが取れなくなって精神的に疲弊するような場所なんだけど、生身の人間同士は他人に影響を及ぼさずに及ぼされずにゆるゆると流動体のように動いていく。

やっぱり好きだな東京。