絶望と欲望と杏子

Questa è la vita.

モルト

私の発言にはよく死が出てくるけどそれは生きる実感を感じたがりな私の性質なんだ。死があって初めて生の実感を感じることができるからです私は死にたがりの癖に生きたがりだからそのバランスが極端で初めて見る人には違和感や矛盾みたいなものを与えてしまう。喋りや文章で私の死に急ぐ本質がバレるのが苦手だからそっと隠してると尚更。レストランでのお話なら表面の上澄みだけ汲み取って上品に飲むような会話も悪くはないし私もそれを楽しめるけれどそれならそうと上澄みだけ掬ってればいいものを何故下層の沈殿物までボーリングしようとするのか。悪いことではないのだけどあまり技術のない人がただの興味本位で調査しにくると非常にアタマにくる。私のことを知りたいのか、私よりも上位の立場に立ちマウントを取りたいのか、もしも後者なら私はきちんとしている人間なのでいくらでも上位に立たせてあげることができるから安心してほしい。私はきちんとしている人間なので。間違ってるかもしれないけどね。でもそういうマウンテンゴリラに私は1ミリも興味を持てない。生きてる死体。いっそのこと死体になってくれた方が興味を持てるんだけどなあ。剥製にもロボットにも興味はあるけど生きてて死んでるモノに興味はないからもっと価値が出る状態変化を期待する。モノレールと電車どちらか選べるとしたらいつもモノレールを選ぶんだけど、高いところから見た人間たちがちょこまか動いてるのを見ると生きてる死体に見えて楽しい。概数には入れてあるけど実体が空虚なシムシティの人口みたいでそこに内臓とか入ってるって信じられない。その人たちを高いところから見るのと近くで見るのと交互に見ることができたら内臓っぽさ、肉感が伝わってもうすこし想像力が働くと思うのだけど。そういうシステムにはなっていないみたい。結構怖い。死よりも現実の方がよっぽど怖い。