絶望と欲望と杏子

Questa è la vita.

極端

数年に一度の寒波が到来しているということですが、万年冷え性の私も玄米菜食+お肉のバランスのとれた食事を心がけた所基礎体温が上がり冬の寒さも楽になってきました。

しかしジャンクフードも相変わらず食べています。

発酵玄米と野菜のお味噌汁、そして赤身の多いお肉、キラキラっとしたエフェクトをかけてInstagramに載せたらいいねが貰えるかしら、をきちんと温かいまま頂いて、丁寧に淹れた緑茶を飲んで、マイクポップコーンやカルビーポテトチップスの袋をパァンと開けてもぐもぐバリバリ、別の意味でバランスが取れた食生活です。

 

バランスと言えば、生きる上で一番大切なものは「バランス」もう少し正確に言うと「中庸」だと思うのです。

 

ちゅうよう
【中庸】
極端な生き方をせず穏当なこと。片寄らず中正なこと。

 

1つの物事に対して「ただ1つの正解」を求め「ルール」を作ってしまう生き方は"安全"ですが、それを他人や社会にも強要していくと、生きづらい世の中になっていくと思います。

世の中が生きづらいだけでなく、果ては自分自身も生きづらくなる。怖いことです。

 

「学校に携帯を持ってきてはいけないルールだけど、持病でいつ倒れるか分からないから携行したい」

→「他の生徒が真似する!校則は校則!」

「セクハラはやめましょう」

→「それじゃ異性と何にも話せなくなる!」

レースクイーンは撤廃です」

→「水着の女の子がダメならアイドルもモデルも消える!」

 

 

……あまりたくさん書くと、論点がぶれてしまうのでこれくらいにしておきましょうか。

 

なにかを論じている時に、極端な例を出して相手を黙らせようとする人が出てきます。割と高頻度で。

しかも凄く説得力がある(ように見える)。極端な具体例はわかりやすいし、聴衆の耳に入りやすい。

どうしても勝ちたい議論の時になら良いですが、その麻薬的魅力を多用していると、自分自身が極端な人間になってしまいます。自分の発した音声は自分の耳にもしっかり入っているのです。

 

自分はこの意見しか認めない、自分はこの人のことしか信じない、自分はこの生き方しかしない

 

頑固で融通の利かない人間になってしまいます。

 

頑固、というと、一本筋が通っていて自分の考えをしっかり持つ人だと思われるかもしれませんが、逆です。

フラフラで不安定で自信がないから、頑固になるのです。

自分の出す答えが正解かどうか分からないから、なにかルールを決めて、そのルールの中で生きていきたいのです。だから、ルール作りを揺るがそうとしてくる人に対して"極端"を探しにいくのです。

 

一方、安定感のある人は、しっかり自分の太い芯が確立されていて、その太い芯の中でぐるぐると考えているので、フラフラしてるように見えるかもしれません。あっ、あっちの意見もいいなあ、そっちの考えも一理あるなあ、そしたらあの人の文献も参考になるかな、おっ、こんな面白い案が出てきた、自分の最初の意見とは違うけど、試してみよう。

これは不安定ではなく寧ろ逆で、自分の軸をしっかり持っているからこそ、他人の意見に耳を傾けることができるのです。

 

難しいけどね。

 

私は中庸な人間になりたい。

人生の一大テーマがまさに「いかにして中庸な人間になるか」ですので、これからも不肖私め逃げずに頑張って参ります。

 

玄米とポテチを食べながら。